共育と縁(私の体験談)
ENISHI: 共育を通じた心と身体の成長
私が「ENISHI」という事業を立ち上げた背景には、学生時代から社会人になるまでの間に経験した、孤独感やいじめの記憶が深く刻まれています。これらの経験は辛く、乗り越えるには長い時間を要しました。しかし、それらがあったからこそ、他者と共に学び合い、成長することの大切さに気づき、いまの私を形成しています。
孤独といじめから学んだこと
学生時代、私は人間関係の中で孤立を感じることが多々ありました。特に、いじめの対象となった時期には、自分の存在価値を見失いかけ、心の中に深い孤独が広がりました。社会人になってからも似たような経験をすることがあり、目の前に壁が立ちはだかるように感じた日々もありました。
しかし、そのような時期に出会った人々との関わりや、自分自身を見つめ直す機会が、私に新たな視点をもたらしてくれました。その中で特に印象深いのは、誰かが私に寄り添い、私自身が成長するのを待ってくれた瞬間でした。
教え合い、共に成長することの喜び
こうした経験を経て気づいたのは、人は一人では生きられないということです。他者と繋がり、教え合うことで、自分自身の心や身体がより豊かに成長するのを感じました。
たとえば、学生時代の部活動では、陸上競技という個人スポーツの中にもチームの連帯感がありました。仲間とお互いの目標を共有し、時には励まし合い、時には厳しく指摘し合うことで、単なる競技の枠を超えた成長を遂げることができたのです。
社会人になってからも、職場やプロジェクトの中で教え合いの場を作ることで、共に成長する喜びを実感しました。特に、ENISHIを通じて誰かと繋がり、その人の可能性を信じ、寄り添いながら成長を見守るプロセスは、私にとってかけがえのない経験です。
共育の未来へ
私が「共育」を大切にする理由は、仏教の「縁起」の教えにも影響を受けています。すべてのものは相互に依存し合い、単独では存在しないという考え方は、私の経験やENISHIの活動に深く根ざしています。
相手に寄り添い、時には成長を期待して静かに待つこと。それは決して簡単なことではありませんが、そこには大きな価値があります。共に学び合うことで、個人の枠を超えた新たな価値が生まれ、互いの心と身体がより良い方向へ成長していくのです。
これからも、ENISHIを通じて多くの人々と繋がり、共育を実践し続けたいと思います。いじめによる孤独を経験したからこそ伝えられること、そして共に歩むことで築けるより良い未来を信じて、一歩ずつ進んでいきたいです。